どうもニコです!
かなり久しぶりのオピニオン記事になってしまいました。こういう記事はなかなか検索で読まれないので、書く気にならないのですがたまにはね、ってことで書いていきます。
まぁ、いろいろ辛い時期がありまして・・。思い切って記事にもしました。妻には色々と迷惑をかけましたが、とても幸せな日々を送っております。
そうなんですよ、みんながみんな自分の子どもだからって、すんなり受け入れることができるわけじゃないんですよね。まさかこんなに自分の子どもが可愛くない、うざい!と感じると思いませんでしたよ。
今ではかけがいのない存在ですが。
そこで、自分の子どもが愛せなくて悩んでいる人、どういう風に考えればいいのかわからない人、そういう自分みたいな人に向けて書いていこうかなと思います。
参考になるかどうかはわかりませんが、ぼくみたいな父親が一人でも減りますように。
先に断っておきます。上から目線ですいません。
- 父親としてはおなじ0歳
- 既存の知識は通用しないと理解する
- 自分も新しいことを吸収する感覚を
- 親の知識と教養は子どもに反映される。と思う
- 親としてあるべき姿は自分の中に
- 子どもの遊びに無理に付き合わない
- 最後に
父親としてはおなじ0歳
初めての子ども、何もかもが初体験。
何をどうしていいのかわかりません。予習していてもうまく立ち回れたか、と聞かれると全く自信がありません。
父親として頑張る、大人として頑張らないと、なんて真面目に考え始めると上手く子育てが出来なく感じていき消耗していきます。
なので、上手く出来なくて当たり前、だと考えるようにしましょう。精神的に大人になっていたつもりな人ほど、この沼にはまりそうな気がします。
仕事も遊びもいきなり上手くこなせる人間なんてほとんどいません。上手く出来ないのが恥ずかしいんじゃなくて、将来子供に何もしてあげれなかった自分恥ずべき、だと思います。
子どもはもちろん0歳ですが、親としても0歳、産まれたてホヤホヤ、何もできなくて当然なのです。
※ただしパートナーには絶対に開きなおらないように
既存の知識は通用しないと理解する
子どもとの付き合いは、非合理性極まりない出来事の連続。
今までの生活においての知識、経験は育児において何一つとして役に立たない、と言ってもいいほどです。夫婦二人で培った環境、仕事で培った要領、通用しないことが多いです。つらーっ
なので、今までの自分を変える必要があります。
今まで生きてきた既存の知識でやろうとすると、精神的に疲れるばっかりで何事も上手く機能しません。
ハナから自分の培ってきた知識・経験に頼ろうとしないことが大事です。
それを理解した上で接していかないと、さらに嫌になっていきます。
自分も新しいことを吸収する感覚を
言い方は雑ですが、子どもは勝手に成長していきます。
成長していく子どもばかりに振り回されては疲れていく一方。
進化・変化を日々遂げる子どもばかり中心の生活になることで期待は膨らんでいきます。ただ、肝心の自分のことは疎かになります。
自己犠牲は素晴らしいかもしれませんが、自分も成長・変化していく過程を大事にしましょう。
子どもと一緒に成長していかないと、歳を重ねていくと子どもについていけなくなります。
子どもがこれから生きていく社会・時代は、ぼくたち生きてきた世界とは全く違うんです。
だから新しいことを吸収しようとしない感覚だと、子どもと時代に置いていかれます。
新しいことを楽しんでできるように工夫したいですね。
親の知識と教養は子どもに反映される。と思う
親の背中を見て育つ、と言われるように親のある知識や教養は子どもに影響されると思っています。実際自分の生活態度を見ていても育った家庭の環境っていうのは左右されていると感じます。
だから一つずつ、できることからでいいので自分自身への投資(勉強・好きなことへ打ち込む)が子どものためにもなる、という風に考えてみましょう。
子どもの成長を期待して子どもだけに色々与えるより、効率が良いような気がしませんか?
親としてあるべき姿は自分の中に
テレビやらネットやらで、取り上げられる家事育児問題。
何も出来てない人からしたら耳が痛いことでしょう。もしくは何もしない理由付けとしてぼくみたいに仕事に逃げようと考える人もいるかもしれません。
ただそんな情報から得られることなんてありません。よそはよそ、うちはうち、です。周りの情報に流され出すと何が正しいかわからなくなります。
外の情報で正しいと思うことをしようとするとしんどくて、辛いです。
間違っててもいいので、自分の中にある価値観・正義やらを大事にしてみてはどうでしょう?
周りに流されて行う行為は、上手く機能しないと無意識に人のせいにしようとします。なのでドンドン失敗して、変化していけば自分なりの答えが見つかる、かもしれません。(←永遠の課題な気がする)
子どもの遊びに無理に付き合わない
おままごと・公園遊び・キッズランド的な場所などぼくにとっては、苦行でしかありません。
もちろん中には子どもと一緒に楽しめる親御さんもいるでしょうが、ぼくには正直キツイです。
なので、そういうところにも行くのですが、大人も楽しめるところによく行くようにしていました。例えば温泉行ったり、登山行ったり、カラオケ行ったり。
これが今でも続いていて家族みんなが楽しめる遊びとして意外と成立しているので、1歳くらいから行っててよかったなぁ、という感じがします。
楽しくない公園遊びに嫌々付き合うくらいなら、大人の遊びに付き合わせることもしていいのではないでしょうか?実際に子どもは下手な先入観がないので柔軟に楽しんでくれています。
とにかく自分が楽しめる、自分を喜ばせることを意識すると少しずつ余裕が出てきます。
最後に
自分が子どもと向き合って、変わっていく過程で気づいたことをツラツラと書いてみました。どうでしたか?
とにかく自分が満たされれば、割と心にゆとりができます。そのゆとりが子どもに愛情を傾けれることにつながっていくんじゃないかな。
ぼくは子どもが産まれた当初は家事・育児は一切しませんでした。しかも絶対しない、したくないと思っていたんですが、今では普通にこなして、いるつもりです。自分でも驚くほどに。
そう、人って変われるんですよね。(胡散臭いけどホントです)
でも最初って何をどうしていいかわからないんです。ぼくなんか何もしてない、考えてない状態だったから、ちょっとだけ大変でしたw
とりあえずできることからやっていくしかありませんけどね。子どもとと同じで何事も最初はできなくても、やっていくうちにできるようになるっていうのは大人も一緒な気がします。
今の自分より一歩でも前へ、子どもと一緒に成長したいですね。
子育ては大変だ、二人以上育てている人たちマジで神すぎる。