どうもニコ(@makokankkoo)です!
はじめに断っておきますが頑張って夢を追いかけている人を否定するものではありませんのでその辺は考慮して見ていただければと思いますのでお願いしますね。
少しだけぼくの話を
小学生の頃の夢それは
だったわけなんですね。野球が好きなら誰でも夢見る、どこにでもいる少年の1人だったわけなんですが。
まぁそれもレベルの高い中学校のクラブチームに入った瞬間に夢は砕け散りましたけどね、、
自分でいうのもあれなんですけど、決してぼくのレベルが低かったわけではなかったと思うし頑張ればそこそこ出来た自信はありました、でもそこで出会った人たちって
レベルたけぇ
モチベーションたけぇ
身体能力たけぇ
っていう人がいっぱいいたんですよね。もちろんぼくの同じ年の人たちもそうなんですが、そういう人たちに触れた時から無意識にプロ野球選手どころかレギュラーになることすら諦めていて野球に対するモチベーションなんてなくなってたわけなんです。
そこで一度だけ父に
やめたい
と言ったことがあります。
普段温厚で優しい父なら通ると思ったんですが
「お前がやるって言い出したんだから最後までやりなさい」
そう言われました。納得したぼくはとりあえず続けて、結果なんとなくで高校最後までやることになりました。
レギュラーになりたいわけでもない
甲子園を目指すわけでもない
そんなぼくが野球を続ける理由はただ一つ自分で言い出したから、それだけの理由でした。
ほんとうはピッチャーしていっぱい三振獲ったり、打つ方ではホームラン打ったりしたかった。
でも、、体の小さいぼくはそんな役回りのポジションとは無縁でぼくにとって野球の醍醐味であるやりたい事(打って投げてシンプルな野球)とは別に、求められるのは相手をかき回したり、いかに小技を駆使してチームに貢献できるかを求められました。
自分がしたいことと求められることのギャップに苦しんでいたんだと今振り返ると感じます。
それでもやっている限りは多少なりとも認められたい。自分が輝けるのは守備、走塁しかないとミスした時なんかは自分を追い込んだりしたものです。
なんて後ろ向きな気持ちのまま続けること、ついにはプレッシャーに押しつぶされイップスという精神的なものからくるボールがまともに投げれないという症状まで出てくることに、、
結局レギュラー争いまでにいくまでもベンチ入りが精一杯でぼくの野球生活は終わりました。
野球を続けていて一度も『悔しい』という感情が起きることはありませんでした。逆によく続けれたな、とも思います。
そんな青春時代を生きたぼくは【間違った達成感】という武器を持ったまま社会に出てしまったんですよ。
あれだけしんどい思いをして練習したんだ、社会で通用する。なんなら他の奴より乗り越えてきた分有利だ!
なんてすごい勘違い。むしろ変な自信すらありました、、
結局これに気づいたのが大人になって大分経ってからと恥ずかしい話です。
自分が好きで目標に向かってやってきた練習と、嫌々でなんとなく続けてきた練習では天と地ほどの差があるのに気付けなかった自分が情けない。
ぼくの好きな武井壮さんのYouTubeの動画を見ていて目が覚めました。
なんの覚悟もなく、何も目指さないぼくにとって野球そのものがムダだったってことに気づいたんですよ。
たらればの話をするのはあまり好きではありませんが、
もし野球を辞めていたら他に情熱を捧げれるものが見つかったかもしれない
あのしんどいだけで目的もなく、ただただ練習に明け暮れていた日々は時間の無駄だった
というのに気づくのに引退してから15年という月日という時間がかかりました。
父の言った
自分でやりたいっていったことは最後までやりなさい
って言ったことは今でもおかしなことを言ったとは思いませんが、決して真実ではなかったんですよ。
ぼくに合わなかったと言えばそれまでですが、、
無気力人間を作り出す一言だったのは間違いないです。
あの日からぼくは考えることを放棄してしまったんです、ただ続けていけばいいやって。
ぼくが大人になって無気力、考えることを放棄していた原因がまさか、今では趣味としてやっていて自分を支えてくれている思っていた野球だったなんて、、
ずっと縛られてたんだ。
だからもし子供が同じ状況になったときに、大人になったぼくができることは
「やめるのはいつでもできるから、今やってることが自分にとってほんとに必要か、もう一度考えなさい。」
ってよく考えさせてあげること。
そこでもし自分で出した答えが
続けたけどやっぱりダメだった。
やめたけどやっぱりもう一回やってみたい!
これでいいんですよ!
続けることが良しとされてることなんかダメ!
自分の判断が間違っててもいいんです、自分で判断させ考えさせてあげることが大事。
もし自分で答えを出せないでいたら一緒に考えてあげればいい。
親が判断して子供のことを判断するのは親がそうすれば楽だからに過ぎません。
ぼくが野球をやってきて得られた野球の産物って
無駄な自信と怒られないように立ち回ること
なにが言いたいかって
夢がなくなった時点で諦めるべき!
だったんですよ。
もし夢があってその道に不安を感じたり、嫌になったりしたら一度くらい諦めたっていいじゃないですか、子供に教えてあげれるのは
失敗してもやり直せるよ
コケない方法を教えるんじゃなくて
コケても起き上がればいいんだよ。
ってことを教えないとね。
ぼくはコケてることにすら気づかない鈍感な人間だけど、だからこそ教えてあげられることもあると思ってます。
最後に、、
ぼくが気付いたムダは無駄な時間だったかもしれないけど、そのムダがあったからこそ学べ、それらの過程は決して無駄な事じゃなかったんですよね。
遠回りしたかもしれないけどこれから活きてくるんだ⭐︎
最後まで読んで頂きありがとうございました^_^
すっきりしたぁ!!
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