どうもニコです!
元高校球児として趣味で今も草野球をやってます。そんな僕なんですがボールがちゃんと投げれないんです。肩が痛いの?いえピンピンしてます!なんなら他の同年代より肩の調子はいいぐらいです。
しかしとんでもない欠陥が、、
スポーツをしている人なら聞いたことあるかもしれませんね
イップス(運動障害)
僕の場合は野球の送球にあてはまるものなんですが、
現在33歳。
17歳に発症して16年間もの間、悩み続けています。
- イップスとは
精神的な原因などでスポーツの動作に支障をきたし、思い通りのプレーができなくなること。
本来はゴルフ用語で今では他のスポーツでも使われているみたいです。
趣味として野球をしているのですが、、
今の症状を説明すると
「投げ方がわからない」
というニュアンスになるでしょうか。
もう投げるという概念すらわからないといった感じですね。
キャッチボールすら違和感だらけ、もう普通に投げる事が出来ません。
これに至るまでの経歴を紹介させてもらいます。
小学生始めの頃は子供会のソフトボールをしていて、小学校5年生の時にリトルリーグ(少年硬式野球)に入り本格的に野球を始める。
この時期は野球人生で一番スパルタで体力的にしんどかった思い出があります。
チームとしては結構強くて、関西の大きな大会でも優勝するくらい。
当時は外野手としてなんとかギリギリレギュラーとして出さしてもらってました、強かったのもあり、そこそこ勝ち上がっていけるチームだったのでエラーなんかほとんどないし緊張感のある場面が多かったです。
中学生はシニアリーグ(リトルリーグの上?でいいと思います)
に入りました!
ここもまた強くて厳しかったったですね。
凄い先輩、凄い同級生ばかりでした。
このチームの監督の指導は細かいところまで見ておられて、厳しくなかなか緊張感のある日々でした。
全国大会にまで出るようなチームでしたが僕としては控えで終わりました。どうせ出れないからと諦めていたとこもあったかな。
高校はそんなに頑張らなくても試合に出れるようなとこに行きたいなぁ。(完全に野球をなめてました~_~;)
と思ってました。
ですが受験に失敗、すべり止めで受けていた私学の高校に通う事になりました。
高校の野球の強さでゆうと中の中ぐらいかな?強くもなく弱くもないというとこです。
頑張ったらレギュラーなれるかなぁという印象でしたね。
体が小柄で非力だったのもあって中学生の時からやってたセカンドを希望で練習させてもらいました。
もともとA(1軍)B(2軍)というシステムはなかったのですが、1年生の途中で導入されることになりました。
発表のときを今でもなんとなく覚えています
「Aのメンバーを発表する」
、、、、、、「以上」
呼ばれへんかったかぁしゃあないなぁ~_~;
と次の瞬間!
「A'!」
「ニコ」
はぁ?Aダッシュて何??
僕の名前が呼ばれたんです。
どうやら守備だけはAの練習で打撃はBの練習メニューだったのです。
ちなみに僕が引退するまでの間、A'というのは僕だけでした。
守備では認められてるという意識から守備は頑張ってやりました!というかやらざるを得ない状態でしたね。
そんな心境のなか途中から守備ではミスできないというネガティヴな考えになってくと同時に、どんどんプレッシャーになっていきます。
とりわけ大事なシーンでエラーしたという記憶はないのです、積み重ねたストレスからなのかわかりませんが
2年生の夏頃に違和感が、、
何かがおかしいんです。
実践になると。
余裕でアウトに出来るシーン、
さぁボールを取ります。そこから
投げ??れない。指から離れない
一時的なものだとも思いましたが、これが治らない。
まともに投げれなくなったんです。
ほんまにこんな感じ、、、情けない。
それからというものそういうシーンが来ると100%おかしいんです。
スロモーションになった様な感じ、指先から離れない。
キャッチボール、ノック、ギリギリのプレーでは症状が出ないのに。
1番慣れているはずのセカンドのポジションが恐怖でしかない。
2年生の夏にはA'というベンチ入りも狙える立場にいながら骨折。
ベンチ入り争いからは消える。
正直ホッとした自分がいました、、
選ばれてもいいパフォーマンスができない、守ることが怖い。
ホッとしている自分が情けない、悔しいという気持ちはあったのですが改善には至らず。
自分達の時代になってももちろんパッとせず、秋のメンバーからも外れる。
それでもなんとかだましだましやっていけたのか春のメンバー入り!
3回戦当日、普段ならない風邪をこじらせ38度の高熱、、
ベンチ入りはしていたがスタメンには選ばれる事はないとポーっとスタメン発表。
「8番 セカンド ニコ」
、、、、はいっ!!
前の試合でレギュラーがチョンボしていた為、まさかの交代スタメン!
僕の公式戦唯一のヒットが出た日でした。
幸い飛んできませんでした、良かったぁ⭐︎
この後ぐらいにセカンドからのスローイングが悪いと判断されていたのと、ショートでのスローイングの方がましだった為ショートにコンバート。
だからといって治る訳もなく、まともに投げれない日々、これだけはどうにもならない、、
5月頃だったか、自身最後の夏、メンバー入りいいや!
と思うように。
とりあえず進学もあるし、親の手前、最後までやっとくか。
始めて練習をサボりました。
ところが副キャプテンに喝の電話を頂きまして、、もうちょっとだけ頑張る事に。
そんな僕でしたが最後の夏、ありがたい事にベンチ入りに選んでもらいました!
大阪大会4回戦敗退
出たのは守備固めの1イニングのみ。(こんなやつ良く出したなぁと今では思います)
これまた飛んでこなくて良かったぁ。
最後の夏が終わりました
負けた悔しさよりもなんか色々な重圧から解放されたのか、試合に出てないくせに1番泣きました。笑
その時代はイップスという精神的な症状があると知らなかったので気づくのは大人になってから(僕が無知だった可能性もあり)なんです。
プロ野球選手の中にもなった人が数々いて、中には克服できた人もいるみたいです。
ここから草野球人生が始まるのですが症状がまだまだひどくなります。
長くなりました、最後まで読んで頂きありがとうございました⭐︎